- 【協力者を募る】
- 私「名古屋でべてるの理念を学べる当事者のための当事者会を始めたいので協力してくれないか?」
- 参加者A「いや俺たちは仲間でない、自分たちが生きていくだけで精一杯だから」
- 参加者B「そうだ、仲間でない」
- 「あんた、きっと失敗するよ」
- 翌週に施設の先生にその様子を話して今後の展望を図ろう
- すると先生は無言、まるで聞いていないのか能面と対面しているようだった。つまり返事というか対話なし。
- 知多の参加者たちは苦笑い「ああ言っちゃった」
- または無関心、随分と冷たく感じ、参加する意欲をなくす。
- 俺一人でもやっていこう!!べてるの振る舞いには何か期するものがあったから
- 人に頼るがら失望する。自分がしっかりすれば何とかなるのではと思いつつも恨みが募った。
- 何が仲間だ。先生だ。当事者研究だ。もっと自分に合う当事者研究を見つけてやる。
- (世の中全員を敵にしてでも設立達成に立ち向かう決意)
- 生活訓練(講義)はもう辞めるという施設側の意向で踏ん切りをつける
- 試行錯誤でも自分一人で立ち上げるしかない
- 日本福祉大学東海キャンパスで開催された「べてるの講演会」に当事者会のメンバーを五名誘って、べてるのことを知ってもらい参加者を募るが それ程の関心はないようす
- 以前の当事者会のベテランメンバーはその場所が居心地の良いところなのか、あえて新しい未知な世界に飛び込むことを敬遠されたと思う
- 誰にも始めることを言わなかったので当然ながら誰も来ない。半年間一人で開催
- 最初から上手くいくわけがない、少しずつ、しっかりとしたものにしていけばいいと楽観的に構える
- べてるの理念を全く咀嚼していないから理念を話すことが何となく気恥ずかしい。
- そのうちに以前の当事者会のメンバーが来るようになるが、彼らに引っ張られ世間話に終始してやりたいことが出来ない葛藤があった。
- 以前の当事者会のメンバーにべてるの話をするが、乗り気でないようす
- 「ここはそうゆうところではない、やりたければ他所でやって」
- 「精神障害者が主体になってできるはずがない」
- 「べてる、統失の集まりでしょ?一緒にしないで」
- 他者を受け入れ、決して見捨てず、同時に深く入り込まれない微妙な関係性を会則にする
- 地域的特性があるのか?(保守的県民性、人情)
- 肥沃な土地、地理的に良い、(東京、大阪から近い)、
- 製品に手間掛けて付加価値を高め効率を尊ぶ県民性(古くは奈良時代に遡る陶磁器から現代ではトヨタ自動車を筆頭とする生産会社)売上一兆円以上の企業が15社⇒経済的に豊か
- 最小の努力で最大の効果を求める(実利的親方職人気質)
- 独立独歩、唯我独尊(人の世話になりたくないので、競争から組織内でお互しいに首を絞め合っている)
- そこそこ何でも揃っているので進取の気性に乏しい、(疑ってかかり納得しないと受け入れない閉鎖的気質)
- 2018年に当事者研究全国大会が名古屋で開催されるので、運営に携わりたく参加、
- 無理を言って私がやりたい分科会【開かれた当事者研究とは】を担当させていただく。
- 札幌なかまの杜クリニックの川本さんをべてるに頼んで分科会の運営委員にリクルートをする。川本さん快諾してくれた
- 分科会の詳細を約二十回ライン電話で打ち合わせを行う。(6名)
- 後で振り返ると毎回、ライン電話は当事者研究をしているようなものだった
- 特に川本さんにはしぼられた。「名古屋らしさを出せ」「浦河に丸投げするな」「全国から来るのだからしっかりしたものを」⇒鍛えられた
- 大阪なかまの家クリニックの山本さんをはじめ多くのメンバーと知己を結ぶ。彼から「つながったね」と言われる。
【つながりの研究から私の気付き】
パワポから転写
- 足を踏み外さない降り方、(自分の立ち位置を模索)
- 五里霧中に踏み出す勇気、(見通しの無さ)
- 降りながら昇りきった上を振り返る自分⇒しがらみからの呪縛を切り捨てる勇気
- こころの濃厚接触は可能か
- 毎日「今日の自己病名」を探してみることによって、その時々の自分を再発見
- 仲間との対話が触媒となって化学変化を起こし、思いもよらない発見につながることもある
- どうしようもない自分もかけがえのない自分。⇒見捨てられない安心感
- 「同病相憐れみ、同憂相救う」支援者には「俺の何が分かるというのだ」粋がって絡んでいた自分も、同じような苦労を抱えている人には、何も言わなくても雰囲気で救われる気分になれる。妄想1